新潟青陵高等学校の出発は、いまから122年前の1900(明治33)年に、帝国婦人協会新潟支部によって創設された裁縫講習所にさかのぼります。帝国婦人協会は、明治大正期の女性教育家、下田歌子先生によってつくられた会で、実践女学校(現在の実践女子大学)のほか、全国各地の女子工芸学校の創設に大きな影響を与えました。
新潟女子工芸学校、新潟高等実践女学校など校名変更を行い、戦後、1948(昭和23)年には新潟女子工芸高等学校、1965(昭和40)年に現在の名称である新潟青陵高等学校と改称しました。1986(昭和61)年には男女共学とし、私立学校の教育の根幹をなす校訓を「至誠」とし、現在に至っています。
「至誠」とは、このうえなく誠実なこと、まごころという意味です。幕末の思想家である吉田松陰は、「至誠にして動かざるものは未だこれ有らざるなり」と述べています。他者にまごころをもって接するためには、自分のこともまた大切にしなければなりません。高校生の3年間は、精神的に大きく成長し、自分の将来に道筋をつける時期であり、また、思い出のたくさん詰まった時期でもあります。「至誠」の精神を大切にして新潟青陵高等学校で学ぶ皆さんが、充実した、そして、楽しい学校生活が送れるよう応援してまいります。
新潟青陵高等学校長
石 井 充